長崎七高山めぐり
1月26日曇り空で寒い朝でした諏訪神社の1の鳥居に8時30分集合して
諏訪神社に無事に七高山めぐりが出来るようお参りして、雨が降らないようにと思いつつ出発
七高山めぐり (なまって ”しちごさんめぐり” ともいう)
長崎辞典によれば江戸時代に正月2日空15日頃までの間に市内の人はわらじがけで、七高山詣りをする、七高山とは、金比羅山、七面山、秋葉山、烽火山、豊前坊、彦山、愛宕山、愛宕山の変わりに岩屋山などをいう。と記されている。
これは信仰詣りで、山中にある真言宗寺院への参詣である。年の初めに寺院を巡って一年間の家内安全と息災を願った江戸時代の長崎市民の生活が伺えて面白い。
諏訪神社
↓ 1634年長崎奉行より諏訪神社は長崎の氏神であり市民は諏訪神社の
氏子とした。
「くんち」が1634年以来毎年行はれている。
金比羅山 (366.3m)
↓ 金比羅大権現を1705年に勧請してこの名が付いた。
西山水源地−明治37年3月完成
↓
七面山
↓
烽火山(426m)
↓ この山は1638年異国船の渡来を昼は煙、夜は火をあげて急を知らせ防
備に当たる藩に伝えていた。
秋葉山(380m)
↓
妙相寺
↓
本河内高部水源地
↓ 明治24年に完成した。日本で3番目で現存しているのはここだけ
豊前坊(352.5m)飯盛神社
↓ 典型的な鐘状火山で岩で覆われている。
本河内出身力士“両国”の初土俵の力験し石や、石をさすって身体の悪
い所をなでるとよくなるという蛤石がある。
彦山(402m)
↓ 古来彦山の月は有名で、飽の浦からの眺めが最高で”秋の浦”と月の
眺めがよい頃は呼称を変えるとか ”わいたちもみんなでてみろ今夜
こそ彦さんの月はよかばい、こげん月はえっとなかばい”
彦山大権現ー大阪夏の陣の年大覚寺の上宮として豊前国より勧請した
が寺の衰亡とともに、末社である飯盛神社に合祀された。
風頭山(150m)
↓ その昔風頭山は春季、長崎名物ハタ揚げの地と知られたが、今は山の
上の市街になった。
北斜面には名陶亀山焼の窯があった。蜀山人に 「コゲン月はエット
なかばい」 と歌われた彦山が風頭山の彼方に一際高くそびえる。
愛宕山(220m)
↓ 3台将軍家光時代に真言宗の僧宥慶が愛宕山願成寺を造営したが維新
後は愛宕神社と改称された、本殿のうらの巨岩に唐僧の詩文がある。
若宮神社
若宮稲荷神社の秋祭り10月14日・15日に奉納される「竹ん芸」
”たけんげい” 男狐、女狐の面を付けた二人の若者が高さ20m
あまりの青竹の頂上で曲芸をする
江戸時代のわらじがけとは行かないが、街中を歩き山に入りと、上り下りの厳しい歩きだ気持ちのいい一日を過ごすことができ、若宮神社で七高山めぐりが無事に完歩できたことを祈り、いい1年間を過ごせるのではないかと充実感でいっぱいだ。