蛤岩

蛤岳に登る
東脊振ICより国道385号坂本峠に向かい自動車を走らせる狭い道で車が喘ぎながら峠へ
峠に車を置き、蛤岳登山口より出発今にも泣きそうな雲行きで蒸し暑く、汗が吹き出る。
途中に冷たい水が勢いよく流れている。
江戸時代初期(1615年から1623年)にかけて、渇水に苦しむ麓の村(吉野ヶ里町)の為、鍋島藩の成富兵庫茂安によって、長さ150メートルの「蛤水道」が作られたそうである。

水底に差があった。歴史に詳しい仲間の話に
「福岡も渇水に苦しみ、佐賀藩に相談。工事費用を支払ったが、水が余り流れて来ない。苦情を政府に話したが取り合って貰えなかった。それは、佐賀藩が政府に賄賂を送っていたからだと。 実は、水が余り流れないのは、数学に強い成富兵庫茂安が、福岡側に流す水路をかさ上げして、大雨にならないと、流れないように細工していたのです」と。

水道沿いは天然のクーラーの中みたいに涼しさに浸ることができた。


水道を渡り蛤岳の山頂には大きな蛤岩が大きな岩が真ん中から割れておりその名が付いたのか